笑顔が繋がり広がっていくカフェでの独立を目指してIターン
井後光晴さん・谷南海さん


こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。
井後光晴さんは姫路市出身。大阪で通信関係の会社に就職し4年間勤務し、その後30歳まで徳島県へ農業の研修をされていましたが、「自立してからじゃないと田舎で農的な暮らしは出来ないな」と感じ、一度実家へ戻られたとのこと。
谷南海さんは東大阪市出身。「自分は食べることが好き、料理するのも好き。それで人助けができるんやったらいいな」と思い、管理栄養士の道へ進むことに。でも、『旬の食材を取りましょう』と自分の口から言いつつも、実際自分がよくわかってないなと思い始め、農業をするために一度丹波篠山市へ移住することを決意されたそうです。
二人がどのように出会い、丹波市へ移住することになったのか。詳しくインタビューしてきました。
丹波篠山での出会い
ではまず、光晴さんの出身から教えてもらえますか?
姫路市の夢前町という、姫路の中でも相当田舎で、今よりも全然田舎でした。高校は隣の福崎町にある高校にいって、大学は大阪経済大学へ。その後、大阪で通信関係の会社に就職し、営業の仕事を4年程していました。
そういう業界にいきたかったんですか?
いえ、業界というよりは営業の仕事をやってみたかったというところでしたね。特別あの会社にいきたいとか、こういう仕事がしたいというのがなかったのもありましたけど。それで26歳の時まで働いて、その後は徳島で農業やってましたね、30歳頃まで。

農業ということですが、どういったきっかけがあったんでしょう?
元々、田舎出身というのもあってか、毎日都会で通勤電車に乗っているのが、「これをずっと続けるのは何か違うな」と感じてたんです。それで、「いつか田舎でゆっくり暮らしたい」と、なんとなく思ってたんですよね。
わかります、その気持ち。
それで通勤時間に、色んな人のブログとか見てたんですよ。自分と同じような境遇だった人が、徳島県で農業研修受けてるみたいな記事を見つけて。「こんな人もいるんだな」と思ってたら、その週末に大阪で農業人フェアがあるのを知って、行ってみたんです。
そしたらそのフェアで、僕がよく見てたブログの農園の人がたまたま来てたんですね。それでこっちから声かけて、こういう理由でこの人のブログめっちゃ見ててみたいな。すると『じゃあ、もううちおいでよ』って言われて、次の月には行ってましたね(笑)2016年4月からでした。

そこはどういう農園だったんでしょう?
無農薬無肥料でやってるところで、最初の2年間は国の制度を使った研修生という形で、本当に0から色々教えてもらいました。他にも若い人が次々来たんですけど、僕が一番教えてもらったんじゃないかなと。それで恩を返したい気持ちもあって、結果的に4年いましたね。
その後はどうなったんでしょう?
農業したい気持ちは今でもあるんですが、いざ就農となれば土地がある訳でもないし、資金的にも色んなハードルがあるので、まずは資金を稼いで、「自立してからじゃないとそういう暮らしは出来ないな」と思っているんです。
なので一旦、実家へ帰って、動画編集やプログラミングとか、自分で稼ぐ方法を模索して。でも、それじゃああかんなと思って実家を出て、バイトしたりもしてたんですが、今メインでやってるのは海外から商品を仕入れて日本で売る仕事をやっていますね。

わかりました。では次に南海さん、どちら出身ですか?
私は東大阪市出身で、こっちの方に来るまではずっと大阪にいました。高校生の頃、介護の体験に行った時に、管理栄養士さんがご飯を作って人を助けている姿を見て、かっこいいなと思ったんですね。
「自分は食べることが好き、料理するのも好き。それで人助けができるんやったらいいな」と思って、管理栄養士になろうと決め、大学はそっち方面へ行きました。
大学を卒業してからは、管理栄養士の仕事をされていたんですか?
そうですね、調剤薬局で管理栄養士を5年程やってました。最初は事務員兼管理栄養士という感じだったんですが、後半はもうほとんど事務をせずに、東大阪エリアの担当として、他の管理栄養士がいる店舗に行って栄養相談の業務改善とか、栄養に関する講座を開いたりといった管理業務をしていました。

その後はどうなったんですか?
東大阪エリアの担当になった頃から、『旬の食材を取りましょう』とか自分の口で言ってる訳ですけど、実際自分がよくわかってないなと思い始めたんです。それでちゃんと食材のことを知りたいなと思っていた時に、テレビで農業のマッチングアプリがあるのを知ってやってみたら、丹波篠山市の農家さんと繋がったんです。
それで週末の休みの日に手伝いにいくようになって、それが2年程続いて。「知り合いも増えてきたし、もう薬局やめて、篠山行って農業やってみるか」と、2022年に大阪から勢いで引っ越したって感じですね。
お2人が出会ったのはどのタイミングですか?
(光晴さん)
2022年の5月末ごろですね。彼女が篠山で農業してた場所で初めて出会いました。僕が体験みたいな感じで手伝いに行ったんです。
(南海さん)
私がinstagramで、「誰か農業体験やりたい人いませんか?」と投稿をあげてたんです。
(光晴さん)
僕は元々、そういうのに乗っかるタイプでもないんですけど、そのちょっと前に「もう実家に引きこもってる場合じゃないな」と思って西脇市に引っ越したばかりで、色んなお店に行ってみたり、色んな繋がりを増やしていきたいと思っていたんですね。何かやらないといけないなと思ってた時だったんです。

直接のご縁から見つかった丹波の住まい
南海さんは、本格的に農業されてみてどうでしたか?
(南海さん)
篠山に移住して、農業を1年間頑張ってたんですけど、なかなかしんどくて。大阪にいた頃から今でも続けている“健幸食堂”というお弁当を篠山でもやってたんですが、やっぱりカフェがしたいという気持ちがあって。それにもまずはお金を稼がないとなと思っていた時に、水分かれ茶屋でオーナーの清水君に相談したら月2回程働かせてもらうようになり、その後、篠山のカフェでも働くようになって、カフェを軸に、農業が遠のいていったんですよね。

農業は体力的にもタフですもんね。
(南海さん)
そしたら、その篠山のカフェが西脇市に移転するという話になって。その頃には二人出会ってたんですが、「そうなってくると篠山にいる必要ないよな」と。家賃も2人、2件分かかるなら、「もう一緒に住もうか」という話になって、2023年の夏から西脇市のアパートで暮らし始めました。
なるほど。それから丹波市で住むことになったのはどういった経緯だったんでしょう?
(南海さん)
西脇市で暮らし始めてしばらくして、アパートの契約更新の時期を迎えた頃に、「更新にかかる費用も高いし、拠点を変えようか」という話をしていて、色々と物件を見てた時期があったんです。その頃に、たんば“移充”テラスの上山さんにいい物件がないか相談してたんですね。そしたら、たまたま大家さんが「誰に貸すか、自分で出会って決めたい」ということで、ネットにあげていない戸建ての賃貸物件の話があって、その話を繋いでもらったんです。そしたら知り合いが隣保にいたり、地域の話や住み心地を聞いたりして、いいなと感じて決めました。

タイミングが良かったですね。
(光晴さん)
家の敷地には離れとか蔵とか色々ある大きな家なんですけど、全部をお借りしてる訳ではないので何でも自由にできる訳ではないんですが、草刈り機とか機材も沢山置いてくれていて助かりました。二人とも草刈りはできますし、自治会に入って村付き合いにも参加していまして、皆さん色々と気遣ってくれているおかげで、気持ちよく暮らせていますね。
丹波市での暮らし
えみのわはどういった流れでやることになったんでしょう?
(南海さん)
2023年4月頃に、2人で話しててフッと、やろうと始めましたね。最終的にはカフェがしたいという思いがあって、健幸食堂はお弁当で食事系なので、えみのわはコーヒーと焼き菓子で。私はお菓子を作るのも好きで、お弁当とは別屋号でやりたかったんですね。甘いものも作りたいし、「管理栄養士として」の在り方に縛られる必要はないよなって思って。
(光晴さん)
僕も篠山のカフェの影響でコーヒーが好きになって、全く知らなかったんですけど、色々勉強して。自分でもやってみたくなったんです。実際に店舗を持つとなると、さすがにコーヒーと焼き菓子だけでは厳しいので、いずれは食事も提供できるようにしたいと思ってるんですけど、まだ模索中ですね。

なるほど。丹波での生活はどうですか?
(南海さん)
私はもう、最高ですね。人とのお付き合いも程よい感じで、移住者が多いっていうのもありますし、知り合いも結構いるので、そこも安心できる部分ではあります。以前まではアパート暮らしだったので、地元の人と触れ合う機会はなかったんですよね。
(光晴さん)
やっぱり丹波の方が温かいというか、気にしてくれる。よそよそしさもないですし。何かちょっと行事に参加するだけでも「ありがとう」と喜んでくれるし、色々お野菜くれたりとか。人当たりの柔らかさがいいなあと思います。あちこち出店した時も感じますが、丹波の人はこっち側のことも理解してくれているというか、お客さんの感じも違いますね。

お店されている事業主が多いというのもあるかもですね。
(南海さん)
出店されているお店同士の仲がいいですよね。「みんなでやろう、盛り上げていこう」といった考えの人が多い感じがあります。住み心地も良くて、自然もあるし、私はこれまで住んだ地域の中では、丹波が一番いいですね。
移住してきて、不便さとか感じたりしますか?
(南海さん)
西脇って結構街がコンパクトで、どこ行くのも近かったっていう場所からこっち来たんで、やっぱ多少は不便さを感じますが、別にそんなにですね。私は10年くらいペーパードライバーで、大阪を離れてこっち出るのは運転が絶対条件だったので最初は大変でしたが、今は車で10分圏内なら、“その辺”という感覚ですね。
(光晴さん)
丹波市はスーパーもあるし、ホームセンターもあるし、「何でも揃うやん」という感じで、生活には困らないですね。別にインターネットもありますし、何でも買えるし、ちゃんと届くし。不便さは感じないですね。

笑顔が繋がり広がっていく場を目指して
今後の展望を教えてください。
(南海さん)
今はあちこちのカフェで働きながら、健幸食堂とえみのわをイベント出店的に行っていますが、やっぱり独立したいというか、お店がしたいですね。自分の場所を持ちたいっていうのがずっとあります。今の家は賃貸ですし、何でも自由にできる訳ではないので、ゆくゆくはどこか古民家を買って改装してやりたいなと。農業もしたいですし。現実的にいえば、まずは工房が欲しいですね。そこをカフェにするというよりは、仕込みができる場所として。仕込みがもっと気軽にできるようになれば、マルシェに出店するのも楽になりますし、卸しとかオンラインで販売するか、広がりができる気もするし。
同じ隣保の中でも、年齢を重ねて家から出なくなったという人もいますし、これから高齢化も進んでいくので、そういうのを見てると、お弁当とか宅配できたらいいのになとか思ったりもしますね。

(光晴さん)
“えみのわ”の屋号は、最初「ひらがな」「4文字」「親しみやすい」ものがいいなと思って、散々考えましたが、最終的には彼女が料理してる姿を思い浮かべて、お客さん同士が話して、笑顔が繋がる、次に繋がる、そういう輪が広がっていけばいいなと思って決めました。これからもっと自分たちの事業や暮らしの事を発信できる場所に、笑顔が広がる場所を作っていけたらいいなと思っています。最終的には、全部が繋がっていけばいいなと思いますね。

丹波市への移住者の多くは、様々な人とのご縁の中から移住を決断され、その後の生活においても様々な関わりを持ちながら生活をさせている方が多いです。移住相談窓口へ相談されることなく移住される方も多いのですが、それでも前後で色んな人との関わりがあることを伺うことが大半です。理想を求めた移住は、特に物件関連などでは最初から100%叶うことはあまりないかもしれません。それでも、移住された後に少しずつでも前進していって、100%に近づいていくことはできます。お二人の、理想に向かって進んでいく姿が、誰かの励ましになるんじゃないかと感じたインタビューでした。