相談員ブログ

相談員ブログ 2024.08.01
菅沼加奈子

息子と私と登校拒否と ①

こんにちは。菅沼です。

今回は、タイトルにあるように学校に行きたくても行けない息子と私の今に至るまでの格闘の日常をご紹介しようと思います。
もちろん、当事者のひとりである息子からも許可を得ています。

小学2年生になる我が子が学校に行かない選択をしたのは、今年の2月のことでした。
切っ掛けは、昨年11月に曽祖父が亡くなったことだったと思います。
持病があった曽祖父にそろそろ会いに行こうかと話していたタイミングで入院となり、コロナの影響でお見舞いにも行けないまま、永遠に会えなくなってしまいました。
当時6歳だった息子にとって、身近な人が亡くなったのは初めてのこと。
【会いたい人が会えない間にいなくなってしまった。この世のどこにもいない。】
息子は静かにパニックに陥ってしまっていました。

曽祖父が亡くなった後、
おじちゃん家にお米をもらいに行っても、おじいちゃんはそこにはいない。クリスマスになってもおじいちゃんからのクリスマスケーキも届かなくなり、お正月に挨拶に行ってもやはり会えない。といった時間を過ごしたことで、おじいちゃんに本当にどこに行ってもどうやっても会えないという実感をした息子は「おじいちゃんに会いたい。」と夜に泣くようになりました。
「お母さんはいなくなったりしないよね?」と不安になり、私から離れることが出来なくなり、まともに眠れる日も減っていきました。

そしてある日の朝、腹痛を訴える息子を病院に連れて行ったところ「ストレス性胃炎」の診断結果。「頑張りすぎてます。息子さんを休ませてください。」と言われたのです。

 

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たんば“移充”テラス
菅沼加奈子

島根県益田市出身。
高校卒業後、田舎暮らしが嫌で進学を機に大阪へ。
2016年2月にパラグライダーをするために丹波市青垣町へ移住し、再び田舎暮らしスタート。
小学生の息子のお母さん・ハンドメイド作家

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ひとくちに、「登校拒否」「不登校」といっても、様々な理由がその背景にはあります。
菅沼家のパターンもそのうちのひとつ。
誰かの参考になればと思い、自分の気持ちの振返りや整理のためにも今回ブログに書いてみることにしました。
これも、これが私の丹波での日常でもありますしね。

 

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