息子と私と登校拒否と ②
こんにちは。菅沼です。
今学期は、比較的学校に行ける日が多かった息子の話の続きです。
ストレス性胃炎の診断を受けた息子は、この日から少しずつ、学校に行けなくなる日々がスタートしました。
私はすぐに一番迷惑をかけることになる職場のスタッフに息子の状況を報告し、学校に行けない日は在宅で仕事をさせてほしい旨をお願いしました。そして、しばらくそうやって息子の様子を見ることにしたのです。正直この時は、一時的なことですぐに学校に行くようになるだろうと軽く考えていました。
因みに、最初の一週間くらいは、息子が学校に行けない日があることは、何が何でも学校に行かせるようにするであろう夫にバレないようにしていました。まずは息子が家にいても良い環境を整えてから、夫とこれからの話をしたかったのです。
夜不安で眠れない息子は、朝も起きにくくなり、登校班に間に合わなくなったため車での登校が多くなりました。そこから朝の会の時間に間に合わなくなり、一時間目に間に合わなくなり。たまに全く行けない日がある。といった感じが続きました。パターンとしては、意外にも土日にしっかり休めた月曜日は元気に朝から学校に行き、翌日の火曜日辺りから行けなくなることが多かったです。
息子にとって救いだったのは、彼の担任の先生が
「いつ何時にきても、みんなでおはよう!と元気な声で挨拶しようね。」
とクラスのみんなに話してくれてたことでした。いつ、何時に行ってもクラスの友達と先生が迎え入れてくれることで、学校に行けた日は元気に教室に入り、誰よりも元気に友達と過ごしているようでした。
しかし、学校に行けない日が2日以上続くと、学校からの【何故学校に来れないのか?】の追求が始まりました。
学校にも学校の事情があって、生徒が学校に来れない原因を知り、学校に来てもらうために早期に対処するためなので仕方ないことなのでしょうが、
「学校で嫌なことがあったか?」
「学校で嫌なことをしてきた子がいたか?」
「それは誰なのか?」
友達が大好きな息子にとって、とてもつらい質問ばかりだったと今振り返っても思います。
しかも当時の私は私自身も何か学校であったのではないか?と思うこともあり、
「先生に正直に話したらいいよ。大丈夫よ。」
と、その質問に答えるように促していました。
何か答えないといけないと思った息子は、常に追及されることで、そういえば、○○君にこれをされたのは嫌だったかも。と、すでに気持ち的にも解決済みだった過去の友達同士の喧嘩も引っ張り出してきてしまうことになり、質問されるたび、思ってもいない【嫌なこと】を言ってしまうようになったのです。
息子自身、何故学校に行けないかわからないのに、本人が本当の原因でないだろうことを結び付け始めたことでやっと私と夫は、追及することは良くないと気が付いたのです。
先生にも事情を共有し、きっと頑張りすぎてしまうんでしょうね。という結論を出し、先生も私たちからも【頑張らなくても良いよ】とアドバイスをした次の日、
朝、誰よりも早く起きてテキパキと学校の準備をする息子の姿がありました。
行ってきますと玄関に向かった息子を見送ろうと追いかけると、
「頑張らない。頑張らない。頑張らない。」
と玄関の扉の前で呟いていていました。
その姿を目の当たりにして初めて、いつも何とか学校に行かせようと促していた夫が
「息子くん、学校に行くのはもうやめよう。」
と提案したのです。
私たちは【学校に行けるようにする】の選択を外すことにしました。
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たんば“移充”テラス
菅沼加奈子
島根県益田市出身。
高校卒業後、田舎暮らしが嫌で進学を機に大阪へ。
2016年2月にパラグライダーをするために丹波市青垣町へ移住し、再び田舎暮らしスタート。
小学生の息子のお母さん・ハンドメイド作家
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息子と平日の学校のある時間に出かけると、やはりよく「学校はお休みなの?」と聞かれます。
友達にも「何で学校に来ないの?」ということももちろん聞かれます。
息子本人に聞かれた場合は私が勝手に答えないようにしているのですが、
「うん。学校お休みしてるよ。」
「わかんないけど、なんか行きたくないから行ってない。」
と案外シレっと答えているので、そこらへんは強いな~と思っています。