このまちの人、という感覚
こんにちは!月曜日担当の中川ミミです。
色々な場所に移住して暮してきた私には、「帰る場所」という親近感があるまちが沢山あります。幼少期を過ごしてUターン移住してきた丹波市のほかに、大学時代を含む通算10年ほど暮らしたサンフランシスコベイエリア、社会人としての下積み時代を過ごした東京、たった1年だけど自分のキャリアに大きな影響を与えたタイバンコクなど。またそれらに比べると、母の出身国であり私自身が生まれた場所のエチオピアのアジスアベバは、実際に自分で選んで暮らしたことがないので、どこか遠い国のような気すらします。
先日、移住してからご近所さんとのお付き合いに戸惑っている、という方からの相談を受けました。
自治会に入って地域活動にも参加しているけれど、なんとなく疎外感を感じる。移住前に住んでいた場所と比べると「常識」が大きく違うように思う。なぜ?と疑問を持つことが多く、思わず口をついて出る表現は「ここの方々」という呼び方。それはまるで自分と彼らとの間に境界を感じていることの現れのようです。
移住して、時間が経って、暮らしのいろいろな側面が自分になじんできたら、いつの間にか「移住者」という意識が薄れる代わりに自分の中に「このまちの人」というアイデンティティが確立してくるようです。その過程に要する時間も、道のりも、きっかけも、人によってまちまち。すぐに移住先を自分のホームグラウンドだと感じるようになる人もいれば、長く住んでいてもよそ者のような感覚を持つ人もいます。もちろん新しい環境との相性みたいな要素も影響すると思いますが、多かれ少なかれ「カルチャーショック」を経験するという点については、共通していると思います。
海外からの移住であれ、国内の移住であれ、県内の移住であれ、もしかしたら同じ市内でも別の自治会に移るだけでも、新しい環境になる。そのどれであっても、入る側も受け入れる側も、安心して納得して同じ地域での暮らしをスタートできるお手伝いをしたいと、改めて自分たちの相談員としての姿勢を再確認させられるようなご相談でした。
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たんば”移充”テラス 中川ミミ(42)
【プロフィール】
エチオピア生まれ丹波市青垣町育ち。世界各地で学び働き暮らして、2015年から再び丹波。仕事にも子育てにも、妥協しない!と日々奮闘中。一般社団法人Be 代表理事。
【ミミより情報】
丹波市で、ああ私はこのまちの人になったんだと思ったエピソード。次のアポに急いでいる時コンビニでおにぎりを買ったら、店員のおばちゃんが「そんなんで足りる?」と言うのに対し、間髪入れずに「足りへんかも~」と返事した私。知らない人と公共の場で突然始まった会話に自然に反応する瞬発力…これはつまり、関西のおばちゃん化が進んでいるということ!?